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2023.02.13
井口奈保美先生の素顔に迫ります(その2)

 

こんにちは、履正社国際医療スポーツ専門学校 広報部Mです。

 

先週に引き続き、理学療法学科のブログにお邪魔し、井口奈保美先生のインタビュー第二弾をお届けします。

今回は井口先生のライフヒストリー編です。理学療法士、アスレティックトレーナーを目指したきっかけや、学生時代のエピソードをたっぷりとおうかがいしました。

 

※前回(その1)の記事は こちら

 

井口先生のプロフィールは こちら

 

 

「26歳でキャリアチェンジ。後には引けない崖っぷち状態でした」

 

――井口先生が理学療法士の仕事に興味をもったきっかけを教えてください。

小4からバレーボール一筋でした。高校時代のチームがお世話になっていた病院の理学療法士の先生がとてもいい方で、アスレティックトレーナー資格もお持ちだったんです。PT(理学療法士)もAT(アスレティックトレーナー)も、その先生を通じて知りました。先生に教えてもらった運動療法をするとちゃんと良くなっていくし、試合に復帰できる。試合に来てくれたときもテーピングをしてもらうと痛くなくなる。痛みがあっても触ってもらうとよくなる。すごいなぁと思っていました。もしその先生が柔道整復師だったら柔道整復の道に行っていたかもしれません。ちなみにうちは母が看護師で、弟が柔道整復師です。

 

――医療系ファミリー! でも、大学では心理学を学ばれたんですよね。

人の心について学ぶのも大事だね、と母と相談し、京都のノートルダム女子大学へ進学しました。大学卒業後は医療機器メーカーに営業職で入社したんです。

 

――なぜ医療機器メーカーだったんですか。

手術に関係する機材を扱いたい思いがあり、電気メスやオペに使う糸を扱う会社を希望したんです。その仕事を選んだのも、高校生のときに膝の手術を3度した経験から。当時、「人工の膝関節を使うことになるかもしれない」といった話が持ち上がるなど、医療機器の話が身近にありました。

 

――医療機器の営業のお仕事はいかがでしたか。

楽しかったし、やりがいはもちろんありました。ただ、メーカーの営業職はモノを売る仕事。お会いしてコミュニケーションを取るのはお医者さんや看護師さんがほとんどで、患者様の姿が見えないのがさみしいな、と感じていました。一方で、高校生の頃に抱いた「理学療法士になりたい」という思いがずっと離れなくて。

 

――それで履正社に進学を。

はい。親にも相談し、理学療法士とアスレティックトレーナー資格が両方取れる履正社を選びました。試験を受けて入学金も払い、後にはひけない状態になってから会社に話をして。26歳で一念発起して入学したので、「もうこれ以外の道はない」という崖っぷち状態。とにかく、やるしかない! って感じでした。

 

――先生の学生時代について教えてください。

いったん社会人をしていたので、学生生活が楽しくて。学びたいこと、やりたいことが存分にできました。在学中から、井口祥平先生についてトレーナー活動のお手伝いをしていました。履正社の先生方は、本当にフランクで(笑)。スポーツ現場に出たい、やってみたい学生を受けて入れてくれるありがたい環境でした。トレーナー活動で得たことは、病院や施設での理学療法の現場で患者様にも応用できる。その逆もあって、病院の患者様から学んだことをスポーツ選手にも還元できる。そんなことを学べました。だから私自身も、学生に頼まれたらいろんな現場に連れて行っています。さまざまな場所で、新しい視点と知識を得てほしいし、いろんな経験をさせてあげたいんです。

 

――AT実習はサッカーコースだったとか。

そうなんです。(サッカーコースGMの)高祖和弘先生は学生を「トレーナー」として育ててくれる方で。プロの現場そのままの厳しい環境の中で考えさせ、責任を与えてくれる。熱い先生でした。たくさん怒られましたよ(笑)。

 

――どんなことで怒られたんですか。

ある選手が練習中に鼻血を出して。トレーナーの学生が処置を始め、練習がストップしたんです。数分経った頃、高祖先生に「あと何分で(選手は)帰って来るんや!」と一喝されました。「彼(鼻血を出した選手)がいるかいないかで、練習メニューが変わってくる。練習に復帰できるのか、できないのか。状況を説明してくれないと次を考えられない。トレーナーは1人の選手だけを見るわけじゃなく、チーム全体を支えているスタッフでもある。チームとしてどう次を動かすのか。君たちはそれを判断する責任を持っている」と言われて。ああ、これがトレーナーの使命なんだ。現場を知るとはまさにこういうことだな、と。この時のことは今でもはっきり覚えています。

 

↑本校は関西で唯一、理学療法士と日本スポーツ協会公認アスレティックトレーナー資格を同時に目指せる学校です。

 

――教える側になっていかがですか。

教育って深い、と感じています。専門学校の学生はもう大人。彼らは卒業したら対等な立場になるわけです。私自身は教員と生徒というより、先輩と後輩という感じで接しています。

学生には先輩として、いろんなことを還元したいですね。

 

――どんなことを還元したい?

学生はきっと、いろんなことにムズムズ悩むことがあると思うんです。そんなとき、自分が何かきっかけを与えられたら。私は理学療法士だけでなくメーカーでの営業経験もあるので、彼らにはさまざまな視点からヒントを提案できるといいなと思っています。

 

 

次回は最終回。大阪回生病院勤務時代のお話や、患者様への想いなどを伺いました。

記事はこちらをクリック

 

【広報Mの取材MEMO】

バレーボール一筋だったという井口先生。輝かしい経歴をお持ちです。「ポジションはレフト、リベロ、ライトなどをやりました。高校で膝を故障するまではレフトが一番多かったです。中学3年生の時、長崎の選抜チームに選ばれてジュニアオリンピックカップで準優勝しました。決勝戦の相手は東京で、(元日本代表の)木村沙織さんがいたんですよ。ちなみにこの時、長崎は男子チームが優勝。それは良かったんですけど、おかげで女子チームの準優勝が目立たなくなっちゃったんですよ! もー(笑)!」

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