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野球コース

【vol.1】ニューヨークメッツとマイナー契約! 卒業生・迫 勇飛さんインタビュー


こんにちは、広報部Mです。本日より3日間、野球コースのブログにお邪魔いたします。

昨年12月、学校に大ニュースが飛び込んできました。
2020年に本校野球コースを卒業した迫 勇飛さんが、アメリカ・ニューヨークメッツとマイナー契約を結んだとの発表があったのです!

迫さんは本校卒業後、社会人野球・カナフレックスで投手として活躍。その後、オーストラリア、アメリカで研鑽を積んできました。

海外での選手生活から、学生時代の思い出まで、たっぷりとお話をお伺いしました。全3回に分けてお届けします。

Profile●迫 勇飛(さこ・ゆうひ)1999年生まれ、兵庫県出身。東洋大姫路高校を経て本校野球コースに入学。卒業後は社会人野球・カナフレックスで活躍し、日本選手権に2度出場した。2022年12月より、海外リーグにチャレンジ。オーストラリアプロリーグ(ABL)の「キャンベラ・キャリバリー」、アメリカ独立リーグの「ニュージャージー・ジャッカルズ」「ハイポイント・ロッカーズ」等でプレーする。昨季は2球団で計17試合先発し6勝3敗、防御率3.88を記録。2024年12月にニューヨークメッツとマイナー契約が発表され、25年2月より活動開始予定

独特の投球フォームを、名刺代わりに。

――昨年12月10日、アメリカ・ニューヨークメッツとのマイナー契約が発表されました。今の気持ちをお聞かせください。
これからがスタート、という心境です。家族や友人をはじめ、これまでサポートしてくれた人たちにいい報告ができたのが、一番うれしいです。特に家族には、ずいぶん心配をかけました。社会人野球でプレーしていた頃は、環境や収入の面でも安定していましたが、海外へチャレンジすることになり、口には出さないまでも不安はあったんじゃないかと思います。会って直接報告したら、初めて見るぐらいの笑顔で喜んでくれました。

――どんなキャリアを歩んでいきたいですか。
アメリカの独立リーグを経験してわかったのですが……。どのチームも選手層が厚いので、契約を勝ち取り、維持するのは本当に大変。だからこそ、一番最初に契約してもらったメッツで結果を出し、貢献したいと心から思っています。

――投手として「こんな風に使ってほしい」など、何かイメージはありますか。
メッツに限らずですが、チームが必要としてくれるポジションなら、先発でも中継ぎでも抑えでも、どこでも喜んでやります。ただ、先発の方が自分の持ち味として貢献しやすいのかなとは思います。どこでもフィットできるよう、準備中です。

――どういうところを見てほしい?
正直僕は、球速とか変化球とか、他選手を圧倒できるような武器があるわけではないんです。ただ、「いかに0点で抑えるか」は意識しています。コントロール力だとか、僕のちょっと変わったフォームでタイミングを取りづらくして抑える。あとは、気持ちですかね。ランナーを背負ったしんどい場面でも弱気にならず、無失点で帰って来る。それが、目標とする投手像です。

――投球フォームのお話が出ましたが。迫さんのフォームは独特で有名だと聞きました。
学生の頃はグローブを突き出す様子を、よく周りから真似されました。ずっといじられてましたね(笑)。ボールを離すまでのフォーム全体のリズムが遅いんです。

――自然にそのフォームになったんですか。
小さい頃から父に野球の手ほどきを受けてきました。父は「シンプルでかっこいいフォーム」を教えてくれたみたいです。こうかな、と自分なりに解釈していく中で出来上がっていきました。

――独特なフォームだからこその、メリットもある……?
ありますあります! 海外でプレーしているうちに、足の上げ方とか、もっともっと個性的になりまして(笑)。アメリカの独立リーグに2年いた間、いろんな人が覚えてくれました。対戦相手と町で会うと、「あ、あのフォームの日本人だ」と、真似してくれる。それですごく仲良くなります。チームメイトもフォームの話をきっかけに、コミュニケーションを取ってくれます。

――もはや迫さんのトレードマークですね。
ですかね。アメリカでは、「どういう考えがあって、そのフォームで投げてるの?」って、たまに聞かれるんです。自分の中に理由はあるんですけど……、球速を上げるためとかでもなく、感覚的な部分でもあるので、他の人は真似しない方がいいんじゃないかな、と(笑)。

トイレの横に枕を並べ、15時間半。

――海外を拠点にしてきた中で、一番大変だったことは?
(アメリカ独立リーグでの)遠征時の、チームバス移動です。中でもカナダのケベックまで、15時間半かけて移動したときは辛かった。まず、僕の席がない。大体、1人につき2席使えるんですけど、なぜかその時は満席状態で。バスの最後部にトイレがあって、空いてるスペースがそこしかなかったんですよ。トイレの横に枕を2つ並べて、15時間半、仰向けの状態で寝っ転がってました。まだ携帯も契約しておらず、たまたま持っていたプレーヤーで音楽を聴くしかなくて。身体を休めるためにも寝たいんですけど、みんなお酒を飲んでるから、めっちゃトイレ使うんですよ。しかも酔ってるから踏まれたり、ドアがバーンって顔に当たったり。その時はさすがに疲れ切って、メンタルも落ちましたね(笑)。移動が長いからバスの床面で寝る人自体は珍しくないみたいで。だから周りはみんな、僕が好きでそこにいると思っていたみたいです。今となってはネタというか、いい思い出です。

――(笑)。ほかに苦労した点は。
海外生活1年目は、(オーストラリアの)キャンベラ・キャバルリーでプレーしていました。トータルでみると防御率は悪くなかったんですけど、コンディションにムラを感じていました。今思うと、自分の身体にあまり向き合えていなかったんです。それが変わったのは、現地でチームメイトだった (横浜DeNAベイスターズの)徳山壮磨くんと出会えたから。本当にいろんなことを教わりました。

――徳山選手と仲良くなったきっかけは何ですか。
オーストラリアでは2年間、日本語が話せるホストファミリーの家に住んでいました。ある時、ホストファミリーがコロナにかかってしまって。チームに迷惑をかけられないし、どうしようかなと思っていた矢先、徳山くんが「うちにおいでよ」と、誘ってくれたんです。5日間ぐらいのつもりが意気投合して、2、3週間ぐらいお世話になりました(笑)。その間、野球だけじゃなく、いろんなことを話して。自分の身体に対する向き合い方や調整の仕方を、具体的にアドバイスしてもらいました。彼が僕をレベルアップさせてくれたと今でも思っていて、「師匠」って呼んでます。それぐらい、ありがたい存在です。

―――素敵な出会いがあったんですね。
そうなんです。昔から本当に、周りの人に恵まれているというか。アメリカのニュージャージー・ジャッカルズ時代は、(日本のBCリーグでプレーしていた)塩田裕一さんにお世話になりました。僕と塩田さんは、同時期にオーストラリアのチームからジャッカルズに入団したんですが、元々(オーストラリアでは)別チームでした。渡米前のビザの申請や銀行口座を開設するのに、たくさん助けてもらって。多分僕1人だとこういったことはできなかったと思います。塩田さんは「これが最後のチャンス」という覚悟を持ってオーストラリアに渡り、下部リーグからプロリーグへ駆け上がっていった方。とても尊敬しています。

・・・・

迫さんのリアルな海外選手生活、お話はまだまだ続きます。
次回は「日本と海外の野球の違い」について。

環境面の違い、シビアな契約システムなど、迫さんはどんな風に向き合ったのでしょうか。次回もぜひ、ご一読ください。

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