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RISEI PEOPLE

履正社の人。

和田 裕介

履正社の人。

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和田 裕介 Yusuke Wada

東芝ラグビー部 ストレングス&コンディショニングコーチ

100%の準備は、できているか。

「フィジカル」の強さが厳しく求められるラグビーの世界に、
選手たちの身体作りをマネジメントするプロがいる。
名門クラブで頂を目指す若きコーチの、ある一日を追った。

2018年3月15日

 ホイッスルが鳴り響くと、冬の木立に囲まれたグラウンドがにわかに騒がしくなった。

 ふた組に分かれた総勢30名ほどの男たちが、一つのボールをめぐって身体をぶつけ合い、とっ組み合い、密集に頭をねじ込み合う。

 敵味方のコミュニケーションの声が活発に飛び交う中、芝を走り、地面に倒し倒され、起き上がってまた走り……を全速力で繰り返しているうちに、彼らの筋骨隆々の身体から白い湯気が立ちのぼってくる。

 2017年12月中旬、東京・府中市郊外にある株式会社東芝の広大な事業所の一角で、ラグビートップチャレンジリーグの名門・東芝ラグビー部「ブレイブルーパス」が、週末の試合に向けた全体練習をおこなっていた。

 その選手たちの傍で、湘南高校サッカー部出身、大阪教育大学で教育を学び、履正社医療スポーツ専門学校で医療とトレーニング学を、筑波大大学院で体育学を修めた31歳の和田裕介さんが、ラガーマンのようなたくましい身体で、グラウンドの端から端を忙しく動き回っていた。

 和田さんは選手をじっと観察し、時おり声をかける一方で、グラウンドの脇でも別の選手たちのトレーニング指導を行う。こちらはリハビリ組だ。ダッシュを繰り返す選手の後ろに付いて走ったり、バイクをこぐ選手にメニューや負荷を指示したり、体重100㎏を超える選手の突進を身体で受け止めたり、スクラムのように一対一で組み合って押し合ったりと、息つく間もない忙しさである。

「親に見せられない練習」

 ストレングス&コンディショニングコーチ――これが和田さんの現在の肩書だ。

 近年、ラグビーのみならず他競技にも広がりを見せるこの職業は、しばしば略してS&Cコーチと呼ばれ、トレーニング指導を通してアスリートの身体作りとパフォーマンス向上を達成することが主な役割である。現代の競技スポーツの世界ではアスレティックトレーナー(こちらはATと呼ばれる)と並び、チームになくてはならない存在でもある。

 ATとS&Cの役割の違いは、ごく簡単に表現するならATが「身体をなおすこと」、S&Cが「身体をつくること」となるかもしれない。怪我をしたアスリートがグラウンドに復帰するまでの期間、その傷の評価やリハビリプログラムを担当するのがATで、それに対し、グラウンドで動ける元気な選手の筋力やスピード、アジリティ(敏捷性)、心肺機能などをさらにアップさせ、より高いパフォーマンスを発揮できるように導く者がS&Cコーチだ。

 和田さんが働いている東芝ラグビー部は、前身の東芝府中時代から通算で全国社会人大会優勝3回、トップチャレンジリーグ優勝5回、日本選手権優勝6回を誇る強豪である。屈強なフォワードのフィジカルを前面に押し出して戦うスタイルで、日本ラグビー史にその名を刻んできた。伝統的に、日々のトレーニングはコンタクト練習を筆頭に「痛く、激しい」ものというイメージがあり、「親に見せられない練習」というフレーズが広まったこともあった。

 いまも目の前では、現在日本代表で主将を務めるリーチマイケルや、日本代表最多出場記録を持つ大野均ら、錚々たるメンバーが汗を流している。

 この東芝ラグビー部でストレングス&コンディショニングコーチとして働くことは、言うまでもなく、大きな責任とやりがいを伴うものであるはずだ。

履正社の人。和田 裕介

東芝ラグビーのDNA。

 練習が終了した後、クラブハウスの一室で、和田さんと話をさせてもらった。

 朝の7時半から夕方まで、グラウンドでの練習の他にトレーニングジムでのセッション指導やデスクワークもこなし、昼休憩をのぞけば「ぶっ通し」で働き続けているにもかかわらず、疲れをみじんも感じさせない彼に、「東芝ラグビーのDNAのようなものを意識していますか?」と聞いてみた。

「意識はします。僕が最初にここに来たのは2013年ですが、そういう風土、雰囲気は確かに感じるし、個人的にすごく好きです。タフで男らしいと思いますね。選手たちをめちゃくちゃ追い込んでも、『これ、きついけどいいわあ!』とか、『あれよかったわ!』なんて言ってきます。こういう真面目ないい男が多いチームに関われることは光栄ですし、これからも引き継いでいかなきゃ、と思っています」

 数十分前、トレーニングジムでの筋トレを見学させてもらった。アップビートの音楽が大音量で流れるなか、グラウンドでの激しい練習の後にもかかわらず、多くの選手が明るい調子でハッパをかけ合いながら、きついトレーニングをこなしていた。笑顔も見られたが、まなざしは真剣そのもので、とてもギラギラした空間だった。和田さんは相変わらず、絶え間なく選手たちに声をかけ、個々のトレーニングの指導にあたっていた。

 ジムの一番奥の壁にはホワイトボードが掲げてあって、トレーニングの種目別に個人ランキングが記されていた。

 個人名は伏せるが、各種目のトップの数値を一部紹介すると、こんな具合だ。

 ベンチプレス――190㎏
スクワット――240㎏
重りをつけた懸垂――179㎏

 ちなみに、日本人成人男性のベンチプレスの平均は40㎏と言われている。

 東芝ラグビー部では、各選手が、トレーニングの種目別に「トップチャレンジリーグレベル」、「スーパーラグビーレベル」、「国代表レベル」、「世界のトップレベル」のどこを目指すのか、細かく設定された数値を目標に、身体作りに励んでいる。

 トレーニングルームを出ると、廊下には「勝つために練習する」「100%で練習する準備出来ていますか?」と書かれた標語が掲げられており、この「本気の集団」のトレーニングを和田さんは担当しているのだ、と改めて実感させられる。

「狭い世界の中で決めていたな」

 和田裕介さんは、もともとサッカー選手になるつもりだった。

 ポジションは主にセンターバックで、憧れていたのはイタリア代表ディフェンダーのパオロ・マルディーニ、もとい、本当の本当はフォワードのロベルト・バッジョだった。

「センターバックとして相手の動きを読んだり、カバーリングをしたり、頭を使ったディフェンスをするのがすごく好きだったんですけど、一番楽しかったのは点を取る瞬間。だから高校卒業後は、『フォワードやってました』って言って、チームでもフォワードをさせてもらってました。すぐにウソだってバレましたけどね(笑)」

 高校時代、冬の全国選手権の神奈川県大会では「ベスト16か8」が最高戦績。「最低でも国体に選ばれる選手になる」という目標が果たせず、プロの道は断念したという。

「国体選手を選抜する地区代表の試合で、後にJリーガーになったフォワードと対戦した際、面と向かってファウルをしにいって、ふっ飛ばされたんです。今となってはそこまでのことではないし、狭い世界の中で決めていたなと思いますけども、『これではプロでは通用しない』と自分で判断してしまいました」

 とはいえ、現在の和田さんの厚みのある体躯は、元サッカー選手にはとても見えない。

 この日もグラウンド脇のリハビリトレーニングで、和田さんがフォワードの選手の突進を身体でガシッと受け止めているのを見て、他の選手たちから「ユウスケさん、(選ぶ競技は)サッカーじゃなかったですね」「ラグビーでしたね」と“称賛”の声が挙がっていた。

 和田さんが笑う。

「この仕事をするにあたって、身体は10㎏くらい重くしましたから。そりゃあ、見本を見せられる方が指導するにも手っ取り早いし、誰よりも自分がトレーニングをしっかりできないと。僕の体重が軽かったら選手にちょっと当たられただけで吹っ飛びますし、選手も僕に対して聞く耳を持たないんじゃないでしょうか」

スポーツの現場で働くことを考えて。

 プロサッカー選手からトレーナーへと人生の進路を変更した和田さんは、大阪の大学に進学するも、同校には在学中に日本スポーツ協会公認のアスレティックトレーナー資格を取るカリキュラムが無いと知り、協会の認定校である履正社医療スポーツ専門学校で「ダブルスクール」をすることに決めた。

 履正社では2年間でアスレティックトレーナーの資格が取れるうえ、医療国家資格もダブルで取得することができる。迷った末、柔道整復学科の夜間部(現在は午前部と午後部のみ開講)に入学し、3年間で柔道整復師の国家資格とアスレティックトレーナーの資格を取ることを目指したのだった。

「医療の国家資格もあった方が有利になると思いましたし、もともと、医療もきっちり勉強しておきたかったんです。柔道整復師の資格を持っていれば、たとえばグラウンドで脱臼や骨折をした選手が出た時に、問題なくすぐに触れるのもいいことです。それに、履正社は医療資格とAT資格を両方取ると割安で、費用対効果も高いと思ったので」

 午前中は大学に通い、夕方になると大阪・梅田からひと駅の十三に移動して、履正社で夜まで講義を受けた。大阪南部の自宅に帰ると夜11時を回っていることもざらにあったというが、土日になると、勉強を兼ねて、大学のサッカー部で学生トレーナーとして現場経験を積んだ。

 そして大学と履正社医療スポーツ専門学校を卒業し、晴れて資格を取ると、今度は筑波大学大学院に進学する。

「スポーツの現場で働くということを考えて、ネットワークを広げた方が良いのではという思いがありました。結果的にはそこで関東の大学のラグビー部を紹介してもらって、そこからラグビーのAT、またS&Cとしての活動が始まって……。最終的に東芝ラグビー部に声をかけてもらうことにもつながっていきました」

履正社の人。和田 裕介

自分の仕事がチームにどう活きるか。

 もともと、プロとして現場に出るならラグビーで、と決めていたという。

「簡単に言いますと、身体が大きくて、速くて、強い選手はやっぱり活躍するんですよね。なおかつ、動き続けられる選手が一番です。ラグビーはそういう意味でもフィジカル面の要求が厳しいし、怪我も多いので、S&Cコーチとしてはとてもやりがいのある競技だと思ったんです」

 コーチ、トレーナー、選手の三者と密にコミュニケーションを取りながら、個々の選手やチームの状態を見極め、トレーニングのメニューを組み、コンディショニングのセッションを指導する日々。ATをしていた時代に培った経験も、コミュニケーションを取るうえで今に活かされているという。

 和田さんが仕事を進める上で、最も気をつけていることとは何だろうか。

「本質を見失わないこと……でしょうか。ウチで言えば『チームが勝つこと』がそれにあたりますが、S&Cコーチとして『この選手はもっとこういう風にしたい』、『この選手はこのトレーニングをすればもっと強くなれるはずだ』、という“ロマン”を追い求めすぎると、本質からズレてしまうリスクがあります。僕は単なるストロングスマンを育てているわけではなくて、チームが求めるラグビー選手を育てているので。もちろんプロとして自分の信念を持っていなければいけないし、主張することも大事だと思っていますが、自分の仕事がチームにどう活きるか、ということを日頃、意識しています」

 チームの勝利のために、時には選手を容赦なく追い込まなければいけないこともある。この日も、怪我から復帰間際の選手を、エアロバイクのメニューで徹底的に追い込んだ結果、その選手がグラウンドの隅で嘔吐している場面が見られた。

「あれ、(セットが)16本あったんですけど、15本目よりも、16本目の方がスコアは良かったんですよ。彼に言ったのは、『お前がサボっているなんて言わないし、ちゃんとよく頑張ったと思ってる。ただ、『本当に100%で』練習をやるなら、15本目よりも16本目の方が高いっていうのはおかしい。後先考えてやるならたいがいの人間と一緒だぞ』ってことでした」

 苦悶の表情で倒れたまましばらく動けなかったその選手を思い出しながら、あれでもまだ十分ではないのか、と途方に暮れる気がした。

「たまにいますけど、『これ大丈夫かな?』っていうくらいまでできる選手はやっぱりすごいです。人間、大人になるとどうしてもセーブがかかってしまうので。でもトレーニングをしていると、そういうリミッターを少しずつ、外しやすくすることはできます」

 個々の選手が少しずつ限界を超えること、そうやって成長した選手たちの活躍の集積が、さらにチームの勝利につながること。その積み重ねの先に「日本一」を勝ち取ることが、和田さんにとってのやりがいだ。

「選手のトレーニングの数値が伸びて、数値が上がると嬉しいですし、自分でトレーニングを見ていた選手が試合に出て活躍すると本当に嬉しいです。でも、僕が変なのかもしれないですけど、試合に勝った時が一番嬉しいですね。今はこういう日本一を狙えるようなチームに携わらせていただいて、とても恵まれていると思っているし、やる以上はまず、チームの日本一に貢献できるS&Cコーチになりたい。もしそれを達成できたら……次は何が目標になるのか、自分にも想像がつきません(笑)」

 15本目よりも16本目の方がタイムが良い、なんてことがない人生を。

 若きS&Cコーチは、そんな生き方を実践しようとしている。

履正社の人。和田 裕介

和田 裕介 わだ・ゆうすけ

1986年、神奈川県生まれ。幼稚園でサッカーを始め、湘南高校ではセンターバック。大阪教育大学、履正社医療スポーツ専門学校を経て、2011年、筑波大学大学院博士前期課程人間総合科学研究科体育学専攻を修了。整形外科でのリハビリテーションや専門学校講師、大学ラグビー部のAT、S&Cコーチを勤務したのち、13年より東芝ラグビー部のストレングス&コンディショニングコーチを務める。趣味は「行ったところのないところを旅すること」。数年前に世界一周の旅に出て、30か国超をまわったがペルーの砂漠で鎖骨を骨折し現地で手術。無念の途中帰国を余儀なくされた。最近のマイブームは「生肉をさばいてユッケを作ること」。

写真/倉科直弘 文/釜谷一平

※所属・肩書きは取材時点のものです

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