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理事長だより

vol.74「頑張っていれば、誰かがどこかで見ていてくれる」

 これは、50年以上にわたって時代劇の「斬られ役」として生き抜いた、ひとりの大部屋俳優・福本清三さんの言葉です。
 どれほど目立たなくても、名が知られていなくても、人生はいつ、どこで、どんなかたちで花を咲かせるか分からない。
 だからこそ、自分の足で一歩ずつ、たしかに歩んでいこうと、信じ続けた人物の物語です。 

 昨年8月、一本の映画が静かに幕を開けました。
 タイトルは『侍タイムスリッパー』。江戸時代末期の侍が現代の撮影所にタイムスリップし、「斬られ役」として生きることを選ぶというコメディ作品です。


 たった一館での上映から始まったこの映画は、俳優たちの熱演と作品のまっすぐな面白さが口コミで広まり、気づけば全国350館以上に。
 春を過ぎてもなお上映が続き、自主制作映画としては異例のヒットとなりました。

 監督は安田淳一。実家の農業を手伝いながら、夢を諦めず、映画制作に情熱を注ぎ続けた人です。
 制作資金は、貯金と愛車を売って捻出した2600万円。
 通常1億円以上かかると言われる時代劇に、無謀とも思える挑戦でした。

 脚本を携えて、安田監督は大手映画会社・東映へ。
 その熱意と物語の力に心を動かされた京都撮影所の職人たちが協力を申し出、かつら師、衣装係、カメラマン、殺陣師……プロたちの技が結集します。
 限られた予算のなかで、本物の時代劇映画が誕生したのです。
 公開直前、監督の預金残高はわずか7000円だったといいます。

 映画には、「斬られ役」として生きる侍を支える「師匠」が登場します。
 モデルとなったのが、冒頭で紹介した福本清三さんです。
 15歳で東映に入り、大部屋俳優としてキャリアを重ねました。
 どんなに小さな役でも手を抜かず、与えられた役に命を吹き込む。
 主役をいかに格好よく見せるか。それが斬られ役の誇りでした。

「日本でたった一人でも、“斬られ方がうまい”と思ってくれたら、それでいい」。

 その一心で研究と工夫を重ね、「海老ぞり」と呼ばれる独自の斬られ方を生み出しました。
 わずか数秒の出番に、全身全霊を込める――。
 その姿勢はスタッフの目に留まり、やがて多くの作品に欠かせない存在となっていきました。

 49歳のある日、人気番組『探偵! ナイトスクープ』に届いた一通の依頼が、福本さんの人生を変えます。

「よく時代劇に出てくる斬られ役の俳優を探して、『徹子の部屋』に出してあげてほしい」。

 視聴者のひとりが、福本さんの姿をちゃんと見ていたのです。
 番組で脚光を浴びた福本さんは『徹子の部屋』に出演し、その名はやがて、世界へと届きます。

──ハリウッド映画『ラストサムライ』への出演。主演トム・クルーズとの共演。
映画のクライマックスで、福本さんが魂を込めて演じた“斬られ方”が、世界のスクリーンに刻まれました。

 トム・クルーズは撮影後、こう語りました。

「彼は本物の侍のようだった。立っているだけで、尊敬の念を抱かせる存在だった」。

 60歳を目前にしてつかんだ、世界への扉。
 それは、どんなに報われなくても、真剣に、誠実に、ひとつの道を生き抜いた時間が結実した瞬間でした。

 その後も映画『太秦ライムライト』で初主演を果たし、海外映画祭で主演男優賞に輝きます。
 名もなき存在だった福本さんの名は、世界中の観客の記憶に深く刻まれました。

 安田監督は、福本さんへの深い尊敬と感謝を胸に抱いていました。
 自主制作映画『ごはん』での共演を経て、『侍タイムスリッパー』の脚本は福本さんを想定して書かれました。
 けれど撮影を目前に、福本さんは肺がんのため77歳でこの世を去ります。

 完成した映画のなかに、安田監督は福本さんの言葉――
「頑張っていれば、誰かがどこかで見ていてくれる」――をそっと忍ばせました。
 エンドロールには「In memory of Seizo Fukumoto」の文字。

 この作品は、2025年の日本アカデミー賞で最優秀作品賞を受賞。
 授賞式の壇上で、安田監督は涙ながらに語りました。

「いつも『頑張っていれば、誰かが見てくれる』とおっしゃっていた福本清三さんに、この景色を見せてあげたかった」。

 福本さんは、こんな言葉も遺しています。

「誰だって、つらいことはある。けど、どんなにつらくても、時がたてば、それが涙が出るほど懐かしくなるときがくる」。

「自分なりに一生懸命やったと思えたら、それでええ」。

 今、努力が報われなくても――それでも、やるんです。
 誰かがきっと見ていてくれると、信じて。
 自分が納得できるまで、やり抜く。
 それが、人生を後悔のないものにする。

 福本さんの姿が、それを静かに、けれど力強く、教えてくれます。

 私自身も映画館でこの作品を観て、笑い、そして涙しました。
 福本さんについて予備知識があったこともあり、スクリーンの中で生きる彼らの姿に、一層心を打たれたのです。

【参考資料】
■映画『侍タイムスリッパ―』公式HP
https://www.samutai.net/
■『侍タイムスリッパ―』について
https://news.yahoo.co.jp/expert/articles/db376602608e8bcb5101b3869cbac3bce04a5236
https://bunshun.jp/articles/-/74487
https://www.cinematoday.jp/news/N0147894
■福本清三さんインタビュー記事など
https://toyokeizai.net/articles/-/657511
https://antenna-mag.com/post-46208/
■福本清三さん書籍
『どこかで誰かが見ていてくれる 日本一の斬られ役・福本清三』
著者:福本清三/聞き手:小田豊二 発行:創美社

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