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「正直な、あのときは何も分かってへんかったと思うわ」
そう言って笑う大人に、
タマノスケはこれまで何人も出会ってきた。
学生の頃、進路が決まらへんくて、
周りはどんどん前に進んでるのに、
自分だけ足踏みしてる気がして、
焦って、不安で、夜ひとりで考え込んで――
「この選択でほんまによかったんかな」って、
何度も立ち止まった人たちや。
でもな、不思議なことに、
そういう人ほど、最後にこんなふうに続けるねん。
「でも、あのとき本気で悩んだ時間があったから、今の自分があるんやと思う」って。
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進路ってな、その瞬間は
「人生を左右する大きな分かれ道」みたいに見えるやろ?
どっちを選んだら正解か。
間違えたら取り返しつかんのちゃうか。
そんなふうに思ってしまうのも、無理ない。
でもな、実際の人生って、
一本のまっすぐな線やないんよ。
そのとき選んだ道も、
一回やめた道も、
遠回りした時間も、
全部があとから、
少しずつ線になって、つながっていく。
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「向いてへんかも」って感じた経験。
「なんか違うな」って思った時間。
一回は手放した夢。
それ、全部ムダやったかって言われたら、
タマノスケは首を横に振る。
ある人はな、
「やりたいことが分からんまま進んだ道」で、
人と向き合う難しさと大切さを知った。
またある人は、
「選ばなかった進路」を見たからこそ、
今の仕事の価値に気づけたって言うてた。
どの経験も、
そのときはしんどかったかもしれへん。
「なんでこんな遠回りしてるんやろ」って思ったかもしれへん。
けどな、
あとから振り返ったときに、全部が“意味ある時間”に変わってること、ほんまに多いんや。
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タマノスケは思うんよ。
迷った経験ってな、
あとから“自分の軸”になることが多いって。
すぐに答えが出えへんかったからこそ、
人の話をちゃんと聞けるようになったり。
失敗した人の気持ちが分かるようになったり。
誰かの意見に流されるんやなくて、
「自分はどうしたいんやろ」って、
考える癖がついたりする。
迷った時間はな、
何も生み出してへんように見えて、
実は、心の中で静かに力を蓄えてる時間なんや。
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せやから今、
「こんなに迷ってる自分、あかんのちゃうか」
「いつまで悩んでんねん」
そんなふうに思ってるあんたに、
これだけははっきり伝えたい。
その迷い、ちゃんと意味あるで。
今はまだ、
バラバラの点にしか見えへんかもしれへん。
「これ、何につながってるんやろ」
そう思うかもしれへん。
でもな、数年後、
ふと振り返ったときに、
こう思える日が来る。
「あのとき悩んでた自分、よう考えてたな」
「あの時間があったから、今の自分があるな」って。
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人生はな、
一直線に正解へ向かうもんやない。
迷いながら、
曲がりながら、
ときには立ち止まりながら、
それでもちゃんと前へ進んでいくもんや。
歩くスピードが違ってもええ。
一回止まってもええ。
回り道してもええ。
大事なんは、
「自分の人生から逃げてへん」ってことや。
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ほな、安心して迷お。
今のその不安も、
立ち止まって考えてる時間も、
きっといつか、
あんたの人生を支える“根っこ”になる。
タマノスケは、
そう信じてるで。







