
こんにちは、タマノスケやで。
今日もこのブログに来てくれて、ほんまありがとうな。
今回のテーマは「困ったときはお互い様」。
野球って、ただバット振ってボール投げるだけやない。
チームって、ただ一緒にプレーするだけの集まりやない。
どんなプレーの裏にも、どんな勝敗の先にも、“支え合い”のドラマがある。
今日は、そんな話をしてみたいんや。
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- 本当に困ってるとき、誰かがそばにおった
あれはタマノスケが、まだ自信を持てへんかった頃や。
プレーでミスばっかりして、試合後にベンチで一人になりたかったときがあってな。
誰とも話したくない、下向いてもうて、「オレ、向いてへんかもな…」って心の中でつぶやいてた。
そしたら、仲間のひとりが無言で隣に座ってくれて、
ただ一言、「おまえ、今日めっちゃ悔しそうやな」って言うてくれたんや。
その言葉に、涙が出そうになった。いや、実はちょっと出た。笑
人ってな、「頑張れ」って言われるより、気持ちをわかってくれる人がそばにおるだけで、立ち直れるもんなんやな。
それがあってから、タマノスケは、「今度は自分が、誰かのそばにおる存在になりたい」って思うようになった。
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- 支える側にも、支えられる側にもなれる
野球ってな、流れがあるやろ?
今日は打てたけど、明日は凡退するかもしれへん。
守備でヒーローになった次の日に、痛いエラーすることもある。
せやから、チームっておもろい。
ピッチャーが苦しい場面で、センターが飛び込んでファインプレーしたり。
バッターが三振して落ち込んだとき、次のバッターがタイムリー打ったり。
「調子ええときは助けて、悪いときは助けられる」
そんな関係って、めっちゃ強いチームをつくると思うんよ。
タマノスケも、助けられた分、ちゃんと返せるように頑張ろうって思ってる。
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- “助けてもらった記憶”が、人を動かす
誰かに優しくされた記憶って、不思議と心に残る。
「なんであのとき、あんなに励ましてくれたんやろ?」
って、時間が経ってから気づくこともある。
ほんで、自分が後輩とか仲間を見たときに、
「ほっとかれへんわ」って自然に声をかけたくなるんや。
そういうのって、“義務”とか“役割”とかやなくて、
心の奥にしまってある「ありがとう」の記憶が、そっと背中を押してくれるんやと思う。
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- 信頼があるから、助け合える
「助けて」って言うのって、実はめっちゃ勇気がいるよな。
強く見られたい、頼られたい、そんな気持ちがあるからこそ、
「しんどい」って言えへんときもある。
けど、ほんまに信頼しとる仲間には、言えるんや。
「ちょっとしんどいねん」「ちょっと話聞いてくれる?」って。
逆に、誰かのそんな声を聞いたとき、
「なんとかしたい」って思えるのも、普段の積み重ねがあるからや。
小さな気遣い。
「おつかれ」「よう頑張ったな」って一言。
冗談を言い合える関係。
それが、いざというときの“信頼”になるんやで。
信頼って、急にできるもんちゃうけど、ゆっくり、じっくり、育てるもんや。
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- “お互い様”でつながった仲間って、ほんまにかっこええ
人に助けてもらうことって、恥ずかしいことやない。
助けてもらったぶん、誰かを助けたらええ。
それが、「お互い様」ってことなんやろな。
タマノスケが思うに、
「困ってる仲間に手を差し伸べる」
「しんどいときに“助けて”って言える」
この両方ができる人間って、めっちゃかっこええ。
そやからこそ、タマノスケは思うねん。
「強い人」っていうのは、「誰かの力になれる人」なんやって。
それが技術でも、言葉でも、ただ横にいるだけでもええ。
仲間の存在って、ほんまにデカい。ありがたい。
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支え合いって、なんやろな。
それは、きっと「自分を大事に思ってくれる誰か」の存在を信じられること。
そして、「誰かを本気で大事にしたい」と思える気持ちやと思うんよ。
ほんで、そういう気持ちが行き交う場所に、
ほんまもんの“チーム”が生まれるんやと、タマノスケは信じてる。







