
こんにちは、タマノスケやで。
この連載も、いよいよ第4話まで来たな。
今回はな、ちょっと勇気のいる話をしてみたいと思うねん。
テーマは「本音でぶつかることの大切さ」。
仲間って、ただニコニコ笑ってるだけの関係やない。
ときには衝突することもある。でもそれを避けてたら、ほんまの仲間にはなれへんのや。
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- 「遠慮ばっかりの関係」より、「本気でぶつかれる関係」が強いんや
ぶつかるって聞くと、なんか「ケンカ」みたいなイメージを持つ人も多いかもしれへん。
でもな、ほんまの意味でぶつかるっていうのは、“本気で相手と向き合う”ってことなんよ。
ワイが思うに、何も言わん関係のほうがよっぽど危険や。
相手に気を遣いすぎて、ホンマの気持ちを言えへん。
ミスしても、見て見ぬふり。
それって、優しさに見えて、実は“無関心”と紙一重なんよな。
たとえば、仲間がエラーして落ち込んでるとき。
「なにやってんねん!」って感情だけで言うんやなくて、
「おまえなら、立ち直れるって信じてるから言うねん」
っていう想いがこもってたら、それはもう“叱咤”やなくて“信頼”なんやと思う。
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- 言いにくいことこそ、言える勇気が仲間を育てる
ほんまの仲間ってな、言いにくいこともちゃんと伝えられる関係やと思うねん。
「これ言うたら嫌われるかもな…」
「空気悪くなったらいややな…」
そりゃ、そう思うこともある。
でもな、それ以上に「言わなあかん」と感じる瞬間があるんや。
・練習中、手を抜いてる仲間を見たとき
・試合で落ち込んでる仲間に、あえて厳しい言葉をかけたとき
どれも、めっちゃ勇気がいることや。
でも、あとになって「あのとき言ってくれてありがとう」って言われる瞬間がある。
そんときに気づくんや。
「言うてよかった」「本気で向き合えてよかった」って。
“本音”って、ぶつける側にも責任と覚悟がいる。
せやからこそ、価値があるんやと思う。
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- 本音を伝えると、自分の未熟さにも気づく
誰かに本音でぶつかったとき、気づくことがある。
「相手のことを思って言うたつもりやけど、ちょっと言い方キツすぎたかな」とか、
「自分自身もまだまだやな…」って、逆に自分の弱さや未熟さを感じるんや。
せやけどな、それもまた大切な経験なんやで。
本音で向き合うって、自分自身のこともさらけ出すってことや。
それって、勇気のいることやけど、絆を深めるには絶対に通らなあかん道やと思う。
強いチームって、ただ技術があるだけやない。
そういう「言い合える関係」「弱さも見せられる関係」があるから、ほんまに強いんや。
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- ぶつかったあとに笑い合えたら、それはもう“一生モン”や
ぶつかることって、悪いことやと思われがちやけど、
ちゃんと話し合って、最後に笑い合えたなら、それはめちゃくちゃええ関係や。
「ほんま、あのときめっちゃ言い合いしたよな」
「でも、あれがあったから、今があるよな」
何年経ってもそう言える関係って、人生の宝やで。
泣いたり、怒ったり、笑ったり、そういう感情を全部共有できる仲間って、ほんまに特別なんや。
せやから、ぶつかることを怖がらんといてほしい。
そこには、かけがえのない“信頼”が眠ってるからな。
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ぶつかることは、悪いことちゃう。
むしろ、本気で向き合ってる証や。
言い合ったり、意見を交わしたりする中で、少しずつ分かり合えていく。
それが、“本当の仲間”への道のりなんやと思う。
ほな、またな。タマノスケより。







