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中津井 瞭 Ryo Nakatsui
サッカーコース2年生
誰がために、笛は鳴る。
選手から審判へ。新しい扉を開いた新米レフェリーは、
思いもよらない景色を見ながら道を歩むことになる。
小学生との約束、亡き友人への想い、新しい仲間……。
レフェリーの世界にのめり込むまでの軌跡をたどった。
2023年2月9日
初秋の茨木キャンパスグラウンドでは、今日も社会人サッカーのリーグ戦が行われていた。試合開始前、全身黒のウェアを身にまとった学生が、選手と同じぐらい念入りにウォーミングアップしている。今日の主審を務める2年生の中津井 瞭だ。
試合が始まってまもなく、1級審判インストラクターの梅本博之がスタンドからトランシーバーで、フィールドの中津井に矢継ぎ早に指示を飛ばす。
「誰の影に入るの?ターゲットを考えて」「止まって!全体を見る!」「(選手の)邪魔になってるよ!」「スプリント(走る)!」「バックステップ(下がる)!」……。
中津井はフィールドでせめぎ合う選手のプレイングエリアに入らないよう細心の注意を払う。選手の動き、様子をしっかりと見極め、瞬時にジャッジする。レフェリーの一挙手一投足が試合の流れを変えてしまうため、重い責任を背負いながら走り続けている。
本校のサッカーコースは日本サッカー協会(JFA)から「2級審判員養成校」に認定されており、これまでに国際審判員やJリーグ担当審判員を数多く輩出してきた。卒業生の武部陽介(2010年卒)と渡辺康太(2011年卒)は現在、国際副審を務めており、武部は2020年にJリーグの年間「最優秀副審賞」を受賞。渡辺も2023年度よりJFAの「プロフェッショナルレフェリー」として研鑽を積んでいる。サッカーコースGMの高祖和弘によると、「学生のうちから、無線を使ってリアルタイムで審判指導を受けられるのはうちだけ」とのこと。高祖は、中津井のことを「彼は前向きだから、審判がどんどん上手くなってるよ」と評していた。
求められる「無駄走り」。
この日は35分のゲームが3本。すべての試合が終わると、中津井は教室に移動して梅本と全体の振り返りを行う。試合映像を検証しながら、厳しい指摘を受ける。「この時、どうしてこのポジションにいたの?」「これはプッシングに見えなかった?」「選手が何をしたいのか、考えられていない。パスコースを予測しないと」。審判が求められていること、留意すべきことを何度も確認する。
授業の後、声をかけてみた。
「今日は試合時間が全部で105分、これまでで最長でした。3本目は疲れもあり集中力が切れてしまって。何より頭をフル回転するので、試合後はいつも甘いものが食べたくなります(笑)」
試合中の、少し緊張気味だった面持ちから一転、屈託のない表情になる。
審判で使う道具を眺めていると、審判3級に合格した際、記念に買ったというレフェリーウォッチを見せてくれた。測定したデータを示しながら、「今日の走行距離は8.9㎞。これまでの最長距離は11.75㎞です」と教えてくれる。
「選手としてフィールドにいるときは最短コースを切って走るよう言われますが、審判は逆。『無駄走りをしろ』と言われます。僕は走るのが好きなのでスタミナなら負けません。先日も、大阪府の審判団の体力テストで2位になりました」
カードを出す手が震えて。
中津井は大阪・清明学院高校サッカー部出身。ポジションはFW。ライバルがひしめく強豪校だったこともあり、試合に出られない3年間を過ごす。履正社でサッカーを続けようと、入学を決めた。本格的に審判の勉強を始めたのは2年生になってからだ。レフェリーの世界に足を踏み入れてから、彼のサッカーへの想いは外に開かれていく。
「まだ審判4級の時、小学生にレッドカードを出しました。すごく上手で大会中ずっとフェアプレーをしていた子だったのに、思い通りにプレーできなくてストレスを抱えていたんでしょう、相手の胸ぐらをドンとついてしまったんです。レッドカードを出すのはかなりためらったし、手が震えました。彼と約束したんです。『レッドカードは、次のフェアプレーのためにあるんだよ。きみはプロになりたいんでしょう。僕も審判のプロを目指すから、一緒にがんばろう』って。この先も、きっと忘れられないレッドカードになると思います」
3級に合格し、6月から大学生の試合「I(アイ)リーグ」で笛を吹き始めた頃にも、大きな出来事があった。
「中学時代、一緒にサッカーをしていた大切な友達を亡くしてしまったんです」
その直後、審判を担当した試合は大荒れに。
「僕のメンタルが影響してしまったんだと思います。選手たちは勝つために必死なのに、僕自身が戦う姿勢を取れていなかった。『今日のジャッジ、不安ありすぎ』と選手が言ってるのが聞こえて。試合後、指導の先生はじめいろんな方に(審判員としての)判定を受けるのですが、すごく低い点数でした。レフェリーをやめようかと悩みました。でも同時に、亡くなってしまった友達のためにもやろう、サッカーに関わり続けようと思って。ここから、自分が変わったように思います」
さらに審判員として関西サッカー学生連盟に所属すると、活動の場が一気に広がった。
「夏に静岡で『アンビションスカップ』という東西交流大会に参加しました。関西、東海、関東の大学生が集まり、すごく刺激を受けた。この大会で仲良くなった人の家にも泊めてもらったんです」
くっきりと映る富士山をバックに撮った参加メンバーの集合写真を見せてくれる。
「初日は雨で視界が悪く、判定が難しくて全然ダメで。でも、次に担当した4日目の試合はめっちゃ良くできました。審判の醍醐味は、すごい選手のプレーを間近で見られることです」
反省や悔しさをバネにしながら、新しい視点、居場所、仲間を得て、中津井はもっとサッカーが好きになる。いきいきと語る言葉のはしばしから、レフェリーの世界にのめり込んでいるのがわかる。
「静岡で大学生の試合を審判している自分なんて、1年前は想像もしていなかった。卒業後は働きながらレフェリーの活動を続けます。35歳までにJ1のレフェリーになるのが目標です」
孤高の存在だからこそ。
中津井の指導担当である、梅本はこんな風に話してくれた。
「レフェリーが適切にコントロールすると、試合がしまります。彼はまだまだ課題はありますが、よく動けるし、可能性を持っている。授業ではサッカーにおける審判の位置づけ、サッカーの精神である関わることの喜び、フェアプレー、安全への配慮を叩き込んでいます」
レフェリーにも個性があるそうだ。
「FW出身、DF出身などプレーしてきたポジションも影響します。特にキックオフ後の10~15分が勝負。選手はレフェリーがどこで笛を吹くのか、敏感に察知してますよ」
ジャッジする人はジャッジされる側でもある。ときには選手に、監督に、観客に、異議を申し立てられ、野次を飛ばされる。誰も審判をほめたりしない。けれど、一瞬たりとも気を抜かず、フィールドを目配り、気配りしているからこそ培われていく信念がある。
「いい試合には、いい審判がいる」。サッカーの世界ではこう言われるそうだ。中津井が吹く笛の音は、彼の成長とともにより強くなり、試合を支えていくだろう。
中津井 瞭 なかつい・りょう
2002年生まれ。大阪・清明学院高校出身。ポジションはフォワード。「テレビでサッカーの試合を見るときは、選手や審判など、複数の視点で観ることができるようになりました」。
写真/倉科直弘 文/履正社広報部
※所属・肩書きは取材時点のものです