広報スタッフブログ

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2021.09.15
専門学校でバスケットボールを学ぶ(その2)

指導者としてキャリアの長い淺村先生ですが、もともとはプレーヤーとして活躍されていました。淺村先生が、自身の経験から学生たちに伝えたいこととは……。

 

 

「できなかったことができるようになる時が、嬉しい」

 

 
<前回の記事はこちら>
バスケットボールコースで学ぶこと(その1)
https://www.riseisha.ac.jp/koho/detail.php?id=270

 

 

――淺村先生は、もともと実業団に所属されていたんですよね。
はい、大学卒業後は実業団(大阪ディノニクス)でバスケをしていました。大阪エヴェッサの源流になるチームです。それから2年をかけて体育の教員免許を取得して、外部コーチとしても働いていました。その当時は、まだBリーグもなかったです。トップリーグといわれるところで活躍している選手にまざって、プレーをしていました。

 

――トップリーグの選手とプレーをする際、感じられたことはありますか。
自発的な姿が、とても印象深いです。それぞれバスケットで学んできたことが違うんですけど、チームならそれをひとつにまとめないといけない。そんな時、どうやってコミュニケーションを取るのかといった部分がとても大切でした。年上とか年下とか関係なく、意見を出し合っていかないといけません。そういう部分の積極性を、すごく学びました。

 

――淺村先生が一番若かったんでしょうか。
僕が一番若かったです。周りは30~40代の方が多いんですよ。僕は当時22、23歳ですから、随分と年齢差がありました。でもプレーする時は一緒です。

 

 

――その後、プレーヤーから指導者の道に進まれたんですね。
大阪エヴェッサができるタイミングで、トライアウトも受けていたんですよ。1次は通りましたが、僕はやっぱりコーチがしたいと思ったので、その先には進みませんでした。最初は、中学校のバスケットボール部で2年ほど指導しました。その時は初心者の子たちがメインでした。その後、立命館大学のバスケットボール部のヘッドコーチを10年ほど勤めます。コーチ就任の前年は、よく彼らの試合を見に行ったりしました。指導をし始めた時は2部に落ちる寸前でしたが、その後、上位に昇進。関東が強いと言われているんですけど、関東のチームとも対等にやりあえるようになってきました。履正社は非常勤の時を合わせると、もう10年ほど関わっていますかね。ケガのない体を作ったうえで、全力で取り組める環境を提供したいと考えて、指導しています。

 

――ずばり、淺村先生が育てたい力は何でしょうか。
「自分で考える力」と「コミュニケーションをとれる力」です。

 

 

――指導される中で、嬉しいと感じるのはどんな瞬間でしょうか。
自分たちでかかげた目標を達成できた時です。あとはやっぱり、できなかったことができるようになる時が嬉しいですよね。ダンクができるようになった、得点を取れるようになった、ディフェンスができるようになった、仲間とコミュニケーションが取れるようになった、そういう瞬間はたくさんあります。

 

――高校生の皆さんに伝えたいことはありますか。
「バスケを高校で終わるのはもったいない!」かな。今まで知らなかったことを履正社で学んで、より日本のバスケのレベルを上げていこう!って、伝えたいです。日本のバスケは、もともと学校教育の一環として始まっているんですよ。そこからちょっとずつ、専門的に教えられる人が増えて、環境が整ってきた状態です。専門知識のあるコーチが増えていけば、レベルももっと上がっていきます。僕たち教員は、常に最新の知識を学んでいるので、そういったことも学生にはどんどん伝えていきたいです。

 

 

<バスケットボールコースのご案内はこちら>
https://www.riseisha.ac.jp/course/basketball/

 

<広報スタッフHの取材MEMO>
3児の父でもある淺村先生。小学3年生になった娘さんが、今年からクラブチームでバスケを始められたそうです。オフの日は、お子さんと公園でバスケ。「まだ何もできないですよ」と言いながら、嬉しそうな目をされていました。