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日常生活(ブログ)

柔道整復学科

難病を機に人生を見つめ直し、開業に至った卒業生…チャレンジは続く! (その2)

こんにちは、アオキです。
前回に引き続き、難病を乗り越え、富山県で接骨院を開業して頑張っている卒業生・立花洋二先生(3期生)の紹介させていただきます。

前回は、この道を選んで柔道整復師の資格を取得するまでの話を紹介しました。
今回は、柔道整復師の資格を取得してから開業に至るまでのことをお聞きしました。

アオキ:
立花先生、開業までの経歴を教えてもらえますか?

立花先生:
はい、履正社の柔道整復学科を卒業後、大阪のセントラル平野整骨院で勤務(当時27歳)。29歳の時、富山に引っ越し、柔整業界を離れリサイクル関係の仕事に従事。35歳で再び柔整業界へ。富山県の接骨院グループの院長として勤めました。その後、42歳で独立開業、「けあろこ接骨院」を開業しました。

アオキ:
富山県へ引っ越しされたのはなぜですか?
また、富山に行かれて柔整業界とは全く違う仕事をしていたのですね…。

立花先生:
はい、結婚した奥さんの実家が富山県でしたので、そちらに移りました。
その頃、義父の経営するリサイクル業の会社が大変そうだったので社員として勤務することになりました。ただ、これまで関わってきた治療業務から離れてしまうことに、大変寂しさも感じておりました。将来的には義父の会社で勤務しながら週末だけでも整体院として開業できたらと漠然と考えていました。

アオキ:
でも、また柔整業界に戻ってこられたんですね。

立花先生:
そうなんです。義父の会社にいろいろ問題が生じて退職することになりました。そこで、やはり自分には柔整業界の仕事が忘れられず、再びその道を歩み出す決意をしました。
独立開業を目指し、技術と自信をつけるために富山でも有名な接骨院にお願いし、勤務させていただくことになりました。自宅から通勤に1時間ほど(雪の日は3時間ほど)かかる場所だったのですが、当時は独立開業が目標だったので、通勤の車の中で治療のDVDやオーディオブックなどを活用し学びの時間としました。この時、「やっぱり自分はこの仕事が好きなんだなぁ」と実感しました(笑)。

アオキ:
一度業界から離れたことで、より強く柔整業界への思いが強まった感じですね。
独立開業に至ったきっかけは何だったのですか?

立花先生:
40歳の時に難病である潰瘍性大腸炎を患いました。
当時、接骨院グループの院長を任されていて保険診療から自由診療に切り替変わった時期であり、コロナの影響で売上が下がっていました。「自分の責任で売上を下げてしまった…この後どう頑張ればいいんだ。」と思い悩みました。それがストレスになり自分の体を壊す事態になったんだと思います。これまで健康だけが取り柄で病気知らずでしたから焦りました。
“健康”を提供する立場の人間が病気を患ったことで、志を持って事を成すにも“健康”という土台がないと何もできないことに、恥ずかしながらやっと気づきました。
また、ある高齢者を対象とした調査によると、「人生でやっておけばよかったと思う後悔したことはなんですか?」という質問に対し、ほとんどの方が「もっと冒険すればよかった。」と回答したとのこと。
その調査結果や、難病から健康の大切さを痛感したことから、“自分の人生を振り返った時に後悔したくない”という思いが強くなり、今年(令和4年2月)、「けあろこ接骨院」を立ち上げました。

アオキ:
いやぁ、病気になられた時は驚いたでしょう。

立花先生:
最初は、腹痛と下痢が一週間くらい続き、「いつか治るやろう」と思っていました。しかし、ある時、便に赤黒い血液が混じっていることに気づき、「これはおかしい」と思い、急いで病院に行きました。ドクターから即入院と言われ、そこからステロイド治療が始まりました。
その時は、肝臓の数値も異常な状態で、このままでは肝硬変になり寿命を縮めることになると言われました。「3人の子供を残して早死にはしたくない」その一心でしっかり治療に専念しました。自分の残り時間を強く意識した瞬間でした。
現在は状態も落ち着いています。

アオキ:
それは大変でしたね。でも症状が落ち着いてほんと良かったですね。
難病の経験を機に立ち上げた「けあろこ接骨院」
その名前の由来は何でしょうか?また開業にあたってのこだわりとか苦労したことなどあったら教えてください。

立花先生:
はい、「けあろこ接骨院」の名前の由来は「カラダのケア」と「ロコモティブシンドローム」を合わせたもので、やりたいことを自由にできる体づくりがコンセプトになっています。
開業にあたって3つの経営指針を決めました。
1.パーフェクト 2.パーソナル 3.パッション  この3つです。
パーフェクト・・・完璧を目指すのではなく今できることを全力で取り組むこと
パーソナル・・・患者様、お客様が心地よいと感じられる心に寄り添った接遇を行うこと
パッション・・・・施術に情熱を注ぎ、小さな感動を与え続けること

難病から復帰した後、接骨院グループに勤めていた時にマーケティングに関することをいろいろ学び、独立後にスタートダッシュを切れるように計画を立てていました。いかに認知してもらうかが重要で、SNS、チラシ広告、PPCなど駆使しました。

アオキ:
開業に際して不安はなかったですか?

立花先生:
はい、開業に際しては勢いがあったので不安はなかったですが、開業がゴールではなく営業を長く続けることが重要だと思っています。それと、「先生はいつも元気だね!」と言ってもらえるように自己管理が大切だと感じています。

アオキ:
どのような患者様がお見えになられますか?

立花先生:
40代女性をターゲット層に定めてホームページや院内装飾を作り込みました。当院は保険診療を行わずに自費メインで営業しているので、自分の体に投資ができる意識の高い方が来られています。

アオキ:
開業して良かった点は何ですか?

立花先生:
前職と比べると通勤時間が3分の1になったので家族との時間も増えました。また、前職では院長という役職上、子供の運動会の日も休むことができなかったのですが、その点、自由に休みのコントロールができるようになりました。

青木:
休日等はどのように過ごしていますか?
家族と出かけたりもしますが、治療技術の向上や市場調査、マーケティングに関する勉強をしています。

青木:
これからの目標や夢はありますか?

立花先生:
患者様、お客様の満足度を富山県No.1にすること。
けあろこ接骨院を患者様やお客様に愛され、仲間と共に成長する企業にしていきたいです。

病気に負けず、チャレンジを続けていく立花先生。彼の話がみなさんのエネルギーになれば嬉しく思います。
立花先生、ありがとうございました。

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