橘田 恵

第6回 橘田 恵

photographs by Naohiro Kurashina

「野球の神さま」は微笑む。

球場で輪になって踊り、歌声を響かせる野球ガールたち。
「彼女」のチームはなぜ、そんなに楽しそうなのか?
侍ジャパン女子代表の新指揮官に就任した若干34歳、
気鋭の女性監督の来歴と、指導の源流をたどる。

2017年7月20日

 橘田恵は形容詞「Charming」が似合う。
 訳は「魅力的な」。155cmの小さな女子野球人のたたずまいには、強さ、おかしみ、優しさなどが溶け合い、チャーミングを醸し出す。
 その雰囲気が、違うカテゴリーで2度の全国制覇を呼び込んだ。

 2013年8月、履正社医療スポーツ専門学校(現・履正社スポーツ専門学校北大阪校)の女子野球チーム「レクトヴィーナス」(RECTOVENUS)を、第9回全日本選手権で高校、大学、クラブチームの頂点に導く。
 今年4月、妹分の履正社高校女子野球部を第18回全国選抜大会で優勝させる。
 どちらも創部から指導者として携わり、それぞれわずか2年目と4年目に快挙を達成した。

 34歳の若さながら、指導力の高さは世間の耳目を集める。
 5月29日には、「侍ジャパン女子代表」(通称マドンナジャパン)の監督に就任することが発表された。3月のワールド・ベースボール・クラシック(WBC)で日の丸を背負った男子チームと双璧をなす。
 橘田は、「侍史上初」の女性代表監督になる。

「逃げたらアカン」と思った高校時代。

 女子野球の草分け的存在の1人として、当然ながら、その球歴は順調ではない。
 兵庫県立の小野高校では男子に混じって硬式野球部に入る。しかし、高野連の規定などもあって「練習生」扱いだった。公式戦出場はもちろんなし。
「最初は偏見もありました。内野の練習は『危ない』と言われて禁止。バッティング練習のときはずっと外野でボールを追いかけていました」
 強い打球のゴロノックには入れてもらえない。イレギュラーしたボールが顔に当たり、大けがをする心配をされたからだ。

 その中で橘田は自分の居場所を見つける。
「グラウンドの隅に素敵なカベがありました。水を飲む蛇口がいくつかついた高さ1mくらいのコンクリートなんですが、その裏面のカベです。そこにボールを投げて、はね返りを捕る練習を毎日していました。斜めに当てて、向こうに転がるのをダッシュして捕ったり。カベが友達のようなものでした」
 物言わぬカベと向き合い、同じ動作を繰り返した時間は忍耐力を作り上げた。

 単調な日々は、感受性や行動力に富む女子高生にはつらい。高2の夏休み、友人のツテで、当時、全国で唯一の女子野球部を持っていた鹿児島県の神村学園高校に見学に訪れる。
「今まで男子の中でやっていたんで、同世代の女子の中でどれだけやれるかを試してみたくなりました。それで『ヤバい、自分めちゃくちゃヘタクソやん』と思ったら、野球をやめるつもりで」

 びっくりしたことに橘田は「楽しめた」。
「練習は普通についていけましたし、高校に入って初めて、硬式野球が楽しい、と思えました」
 このまま厳しい境遇に置かれ続ける小野に残るか、たのしい女子野球の神村に移るか。葛藤が生まれるのも無理のないことだった。
「一時は転校しようと思いました。でも、自分の中で、逃げているんじゃないか、という思いが大きくなったんですね。『過酷な状況の中で、死に物狂いでやることによって、自分が鍛えられるんじゃないかな。逃げたらアカン』ってその時は考えました」

 結局、故郷に踏みとどまる。
 大学受験は鹿児島の鹿屋体育大学を志望する。進学校の小野高校出身らしく、センター試験はうまくいく。問題は実技の二次試験だった。
「野球が実技の種目になかったので、サッカーを選んだんです。Jリーグ世代だったので、野球の次はサッカーやろ、っていうくらいの感覚で。なんとなくFWのポジションに入ったんですが、ボンボン飛んで来るセンタリングにまったく合わせられませんでしたね。陸上にしとけばよかった」
 今は失敗を笑いでくるむ。

履正社の人:橘田 恵
「これを大学に持って行きなさい」

 進学先は仙台六大学リーグに属する仙台大学にした。兵庫から東北の宮城まで一気に約1000㎞北上する。
「家を出て、一人暮らしをしてみたい、という希望がありました。もし野球を続けることができなければ、プロ野球のトレーナーになりたい、という夢もありました」
 自立心を持って進路を定めたが、大学からは「(男子に混じっての)野球部への入部は難しい」と通告されていた。

 ところが、ひょんなことから事態は動く。
「高3の夏休みに、地元の高校の合宿所にある食堂でアルバイトをしていたら、大阪体育大学の水泳部が合宿で来ました。そこの先生(監督)からリクエストがあったので、部員のご飯を全部、テレビアニメみたいに山盛りにして出したんです。そしたら、先生が『君は盛り方がいい』と。で、野球の話をしてたら、たまたま、当時の仙台大学野球部の監督が、その先生の教え子ということがわかったんです。すると先生が『これを大学に持って行きなさい』と言って、一枚の名刺を手渡してくれました」
 名刺の裏には「橘田をよろしく!」と大書されていた。大学野球部への入部は許可され、橘田は仙台六大学リーグで最初の女子選手となる。しかも練習内容は男子と同じだった。
「すべて一緒ですよ。感激しました。『やるんやったら、全部一緒にやれ』と。あんな風に扱ってもらって、『優しさでしかない』と思いました」
 彼女のまっすぐな生き方に「野球の神さま」が微笑んだ瞬間だった。

 1年秋には、公式戦デビューを果たした。2001年8月24日、宮城教育大学との秋季新人戦1回戦だった。「九番・二塁手」として先発。守備機会は1回。先頭バッターの初球が自分のところに飛んで来た。ゴロを無難にさばく。打撃成績は「1の1」。初打席でライト前ヒットを放ち、次の打席では送りバントをきめた。
「監督に、『お前、出来すぎやからもうええ』と交代させられました(笑)。楽しかったですよ。ヒットを打ったらベンチが『うおお』って大盛り上がりで。誰も打つなんて思ってないですからね。ただ、一塁に出た時、ベースコーチをしていた同級生の男の子が、涙目になってたんです。泣きたいのはこっちだったんですけど!」

ホストファミリーに書いた「手紙」。

 仙台大学野球部に籍を置きながら、単身、海も渡った。2年時はオーストラリア、3年時はアメリカでの大会に出場する。4年時の2004年秋と卒業後の2005年秋にも、日本と季節が逆のオーストラリアで野球に没頭した。特に2005年は、アメリカと並び女子世界最高峰といわれる現地の大会で「一番・遊撃」として全試合に出場。打率6割でMVPを取った。

 南十字星が美しく輝く国では、野球や英語とともに、主張する大切さを学んだ。
「ホームステイ先で、サラダに大きいチーズがトッピングされて出てきました。私、チーズが嫌いで、食べられなくもないんだけれど、毎日出てくる。これは私の気持ちを感じ取ってもらえていないと思って、手紙を書きました。『実はチーズが嫌いなんです』。お母さんは涙ぐんで抱きしめてくれました。『3日間も我慢して食べていたなんて、気づかなくてごめんね』って」
 忖度(そんたく)が通じるのはこの極東の島国に住む人たちの間だけである。例え片言でも声を上げることは、コーチングにおいて大切な意思表示に結びつく。

履正社の人:橘田 恵
履正社の究極の強みとは。

 2006年4月に帰国。埼玉の花咲徳栄高校、宮崎の南九州短期大学でコーチや監督を経験する。この間、鹿屋体育大学の大学院に学び、修士の肩書を得た。
 2012年、履正社医療スポーツ専門学校に、新設された履正社レクトヴィーナスの監督、教員として赴任。その後、履正社高校女子硬式野球部の監督も兼任するようになって、今年で4年目に入る。
「履正社の究極の強みは、アスレティックトレーナーや医療をめざす専門学校の学生たちが、実習で選手たちを見てくれるところです。一流の先生がついていますし、身体のケアや肩、ヒジ、腰の治療をお願いしても的確です。ウォーミングアップやトレーニングの方法なんかも、どんどん新しく変わっていきます。だからケガが少ないですね」

 専門学校で学ばれる最先端の理論と技術が下りてくるのをよろこぶ。
「それに、高校や専門学校の男子の野球が真横で見られることも大きいです。目の前に素晴らしい見本がある。最新のトレーニングメニュー。専門のコーチングスタッフ。いくらでも学べます」
 高校の男子野球部は今年、「春のセンバツ」で二度目の準優勝を果たした。

 今年4月、大阪の箕面キャンパスに専用グラウンドが完成した。
 笑顔の多い日々を送っているのは、環境が整ったからだけではないようだ。
「私が関西人やからやと思います」
 試合直前、彼女の選手たちは輪になって足や手を上げて踊る。試合中のベンチ内では、阪神タイガースの選手応援歌などをみんなで大声で熱唱する。
「楽しそうです。とっても。選手たちが勝手に始めたことなんですけど、どうせやるなら楽しいほうがいい。自分たちで考えてやるんだったらいいと思います。だからオンチの子も一生懸命、歌う。恥じらいは一切なしです」
 喜劇、漫才、落語などに慣れ親しむ気質に、高校、大学、海外での経験が混ざり合い、「チャーミング」を生む。そして、結果はついてくる。

 7月には、履正社高校女子野球部の部員32名を率い、史上3校目の春夏連覇がかかる第21回高校選手権大会に臨む。そして、9月には第1回BFA女子野球アジアカップで日本代表の初指揮を任される。
 女子野球の先駆者の1人として、その挑戦すべてを伝説に作り替えていきたい。

履正社の人:橘田 恵

きった・めぐみ
1983年1月5日、兵庫県三木市生まれ。市立自由が丘小1年から、軟式の少女野球チーム「西神戸パワーズ」で野球を始める。4、5年時に全日本女子軟式野球選手権小学生の部で2年連続準優勝。市立自由が丘中ではソフトボール部に入部する。小野高では週末はヤングリーグ(硬式)の「神戸ドラゴンズ」で中学生に交じってプレーした。1学年下に栗山巧(西武)、2学年下に坂口智隆(ヤクルト)が、小野高の2学年下には清水誉(元阪神、現一軍マネジャー)がいる。「彼らは偉くなってしまいました(笑)」。「神スイング」のタレント・稲村亜美は「韓国W杯でお見かけしたことがあるけど、とっても足が長くて、きれいでした。彼女の発信力はすばらしいと思います」。世界野球ソフトボール連盟(WBSC)技術委員、アスリート委員。全日本女子野球連盟理事もつとめている

写真/倉科直弘 文/鎮勝也

履正社医療スポーツ専門学校
履正社医療スポーツ専門学校